(174)青焼図面発見!
Myトップニュースになりそうな発見がありました!
国の登録有形文化財への申請を進めている地元の某医院併用住宅。
無住になって何十年ですが、なかなか片づけが出来なかったそうな。
それを関係の方々数名で片づけ始めたら、押入の不用品の山の中から、昭和38年の古新聞で包まれた丸めた図面が出て来たと、ありがたいことに私に一報。
ヘリテージマネージャーとして文化庁への登録申請のお手伝いを依頼され、実測調査から所見まで諸々お手伝いをしているご縁から、図面と知ってご一報頂けたことに感謝です。
早速駆け付け広げてみると、A1サイズの青焼図面が7枚。
正にこの木造建物の設計図面でした。
9番までの連番の内、欠番もあるし同じものの青焼が2枚あるものもあって、結果的に5種類7枚の青焼図面。
内訳は基礎伏図、床伏図・軸組図、小屋伏図、立面図、各部詳細図。
もちろん手描き。寸法は尺寸。恐らく烏口で製図。個人的には旧仮名遣いにもシビレます。
驚くのは、製図板一杯のこんなに大きな図面を、しっかり詳しく丁寧に描いてあることと、現実に建っている建物(木造2階建て・医院併用住宅)がこの図面通りに施工されていること。
折り目や丸め跡がついてはいますが、押入の奥に丸めて新聞紙に包まれていたことが功を奏し、青焼が青いままで、長年保管状態が良好だったことが窺い知れます。
昭和10年5月という日付の記載もありがたい。
実は調査時に棟札が見つからず、課税台帳名寄帳から推し測った年代との整合性が確認できました。
設計者と推測できる押印は「松田」と読める朱肉の個人印。
施工者は相変わらず不明です。
この建物を建てた医師は、地元美杉村の出身ではありますが、千葉大学で学び帰郷して大正年間には村医を務めた後、50歳前後でこの個人医院を開設しています。
都会を知る近代的な人物だったらしいとは縁戚の方の弁ですが、庭屋一如と呼んでもよいような瀟洒なつくりの住まい部分と、洋風外観の医院部分の合わせ技を見ると、しっかりした設計者がおり、かつ図面に従って施工した信頼できる地元大工がいたのだろうと、推察できます。
そもそもこの時代、大工さんの板図だけで建物が建てられるのが当たり前だった筈。
本当に貴重な資料が見つかったものです。
所有者さんご本人が保管しておくのも不安だしということで現在、博物館への寄託が出来ないか、ご相談中。
上手く行けば、工事が終わったら用無しのように扱われる我が図面たちも面目躍如かも知れず、何だか我が子の評価を待つ親のような心境です。
(2021.05.01)